【プラクティス】生きることと文化が交差する場所〜興望館との出会い〜

【プラクティス】生きることと文化が交差する場所〜興望館との出会い〜

プラクティス

こんにちは、ファンファンのディレクターの青木です。
今年度のファンファンのテーマは「100年の記憶」としています。
その背景にふれつつ、今年度の「プラクティス」の取り組みについてご紹介したいと思います。

昨年、アーティスト集団のオル太を招聘し、約1年間のリサーチを経てプラクティスプログラムとして開催した展覧会「超衆芸術スタンドプレー 夜明けから夜明けまで」では、大正期から現代にかけて墨田区やその近辺で起こった出来事についてリサーチを深める機会となりました。
これまでのファンファンが捉えていた墨田区は、オルタナティヴスペースでの活動や地域型のアートプロジェクトが1990年代から継続的に行われ、町が柔軟に変化していく“生き方がかたちになったまち”としての姿でした。その関心から今年度は地域の文化活動のアーカイブ収集発信やディスカッションを行う「スミログ」をスタートさせたのでした。
しかし、「スミログ」や「超衆芸術スタンドプレー 夜明けから夜明けまで」を通じて出会った様々な人のお話を聞く中で、“生き方がかたちになったまち”の背景には当然ながら作品やアーティストの関わりだけでなく、自然災害や産業も含めた多様な出来事の重なりから成る地域の歴史があることについて考えるようになりました。
このように地域の歴史へ目を向けることをきっかけに、ファンファンではまず100年という単位から過去の出来事や、反対に未来の墨田区を想像してみようと思ったのです。さらにその時間軸を客観的な事実の集積としてだけでなく、資料には載らない個々人の些細な感情や思い出の中に“生き方がかたちになったまち”のヒントがあると考え、「100年の記憶」というテーマを挙げました。

「アート」とは呼ばれなかった創造力

私個人はインディペンデント・キュレーターとしても活動する中で、アートを「よりよく生きるための技術」と捉え、ファンファンを含め様々なプロジェクトでそうした思考の実践を試みてきました。こうしたことを考えるようになったきっかけが大きく2つあります。
そのひとつが墨田区との出会いでした。2016年にひょんなことから墨田区に拠点を持ち活動を始めたのですが、アーティストが町工場や長屋をアトリエやギャラリーに改装したスペースがまちに点在し、東京の街の隙間を積極的に使いこなし、生活とアートを地続きに形成する様子にとても可能性を感じたのでした。
そんな風にまちを楽しく使い倒しているのはアーティストだけではありません。町工場の職人さんや、DIYで作られた個性的な飲食店など、創意工夫に溢れた場所や人がたくさん居たのです。こうした活動を見ていると、街中には「アート」という枠だけでは見逃してしまう創造力がたくさんあることに気づかされます。また、そうした創造力をアートの歴史がどのように扱ってきたのかを考えるようになりました。
もうひとつの理由は、個人的に精神医療や福祉への関心があったことです。特に最近では、東京都にある精神病院で大正時代に行われていた作業療法の取り組みなどを調べていたのですが、薬物治療の無かった時代に患者達の健康を願って取り組まれていた作業療法やレクリエーションはとてもクリエイティブなものに感じました。患者、庭師、医師が協力して院内の敷地に山や池をつくったり、仮装行列を行っていた記録を見ていると、現在のアートプロジェクトにも通じるように思えたのです。

興望館との出会い

こうした関心を持ちながら、大正時代の美術運動ー特にこの時は今和次郎ーについて調べていた2018年ごろのことです。『芸術と福祉‐アーティストとしての人間』を読んでいると、今和次郎が帝大セツルメントハウスという施設を設計していることを知りました。その施設では戦時下の複雑な産業美術運動において活発な働きを見せていた新井泉が子供達に鉛筆画を教えて展覧会を開いていたとも書かれています。「セツルメント」という言葉はそれまでも何かで読んだ記憶があったのですが、当時の美術家らが関わったということについてはまったく知りませんでした。
そこから興味を持ってセツルメント運動について調べていくと、その源流はアーツ&クラフツ運動と関わりがあることや、特に関東大震災で大きな被害を受けた墨田区で活動が盛んだったことも分かりました。帝大セツルメントハウスは、労働組合運動などに取り組んでいた賀川豊彦も携わり、1924年に墨田区に創設された施設でした。帝大セツルメントハウスは1938年に解散してしまいますが、墨田区の中にはセツルメントとして発足後、今もなお活動を続けられている施設があります。それが「興望館」です。1919年に創立以来、現在も保育事業を中心に活動を続けられています。
興望館がどんなところなのか気になっていたところ、墨田区文化振興財団が主催する「寄合」という区内の文化活動を行う団体が集まる勉強会が興望館で行われることを知り、ぜひ話を聞きたいと思い参加したのでした。
その際に、興望館の100年間の活動がまとめられた年表を見せていただいたり、昔の保育日誌や活動の写真資料などが丁寧に保管されていることを知りました。
アートプロジェクトでは日々の活動に追われ、つい「写真撮り忘れた!」なんてことが多々あるのに、100年も前の活動資料が残っているなんて・・・と感動し、帰り際にお話をさせていただいたのが社会福祉法人興望館事務局主任補の萱村竜馬さんでした。

その後、何度か興望館で萱村さんと福祉やアートについて色々なお話をさせていただくなかで、2020年に実現したイベントがラーニング・ラボ#06「文化が寄り添っていた場所:今和次郎とセツルメント運動」でした。

右から萱村さん、青木(ファンファン)、そしてもう一人のゲストで今和次郎の研究をされている黒石いずみさん。

#06 黒石いずみ× 萱村竜馬文化が寄り添っていた場所:今和次郎とセツルメント運動

プラクティスプログラムが始動

ラーニング・ラボ#06でも、セツルメントが単に必要最低限の生活だけを考えていたわけではなく、心の豊かさを求めた建築やプログラムが志向されていることがゲストのお二人からも言及されていました。
アートを社会化するのがキュレーターの役割だとすればセツルメントのような活動もまた、長い時間をかけて社会化した一種のアートであるのではないだろうか?という気がしてきたのです。もちろんアートもセツルメントもそれぞれ専門化する中で理論を深めて行くことで成し得たことがたくさんあると思います。しかし今、専門化が進む中で立ち行かなくなった諸分野が連携を必要とし、アートが福祉・医療と協働する姿を見ると、アートはアートとしてのみ存在したのではなく、よりよく生きることを求める場で、その創造力を発揮する可能性を強く感じたのです。
前述したように、墨田区は「アート」と名がつかない魅力的な創造力に溢れた町だと感じていました。2018年から始まった「ファンタジア!ファンタジア!」というタイトルには、まだ言葉を知らない赤ちゃんが何かを指差し「だーだー」と言うように、まだ名づけられない創造力への予感を名指すような想いを込めていました。墨田区に漂うこうした創造力の種は、興望館の活動にも見出すことができる気がしたのです。

興望館外観

こうして、萱村さん達とも話し合いをしながら、2021年度からプラクティスプログラムとして、ファンファンと興望館の協働企画を行うことになりました。
プログラムを行うにあたり、ラーニング・ラボ#07「手芸の在り処:手仕事から見る家庭と労働」にも登壇いただいたアーティストの碓井ゆいさんをパートナーとしてお招きしました。女性が担っていた家事労働について手芸を用いた作品制作から多角的に考察される碓井さんは、これまでも名古屋でのセツルメント(保育運動)をリサーチした作品を発表されてることもありました。また、手芸は貧困に苦しむ女性が自立を目指すための活動としてセツルメントでも取り入れられてきたものでもあります。
碓井さんと興望館を訪れ、古い保育日誌や写真などの資料を拝見しながら、どんなことができるかを話し合っていきました。
そこでキーワードとなったのはセツルメントにおける「助け合い」でした。セツルメントとは、貧困など課題のある地域に移り住み、地域の一員として生活改善を行う活動です。その時に行われる救済とは、上から目線ではなく一緒に課題を解決しようとする精神が感じられるものでした。
こうした歴史を調べたり、職員さんや関係者の方々のお話を聞く中で、碓井さんからは「現在コロナ禍においても自助・共助・公助などの言葉が聞かれるようになったけれど、本当に必要な救済とは一体どんなものか。100年前のセツルメントの活動を現在の問題とも繋げながら考えてみたい」という意見がありました。しかし「救済」という言葉を使うと社会的、宗教的にも大きな問いになってしまうことへのもやもやもあります。そして今回のプロジェクトでは、もっと身近なところにあり、一人一人が実践できる振る舞いとしての救済ではないかと話し合うことになり、まず現れたキーワードが「助け合い」でした。
それでもまだまだ発展途中のキーワード。目の前の日常と向き合い、よりよく生きることと文化が結びついた興望館セツルメントの歴史や精神をみんなで考える中で、来年はより具体的な言葉や表現になっていくことが楽しみです。

トナリのアトリエ

「助け合い」というキーワードを片手に資料をリサーチする中で、大正時代の興望館の青年部の方々が制作していた「若土(わかつち)」という名前が付いた小冊子が目に止まりました。そこには当時の興望館での活動の様子や、戦争へ出兵した仲間達へ向けたメッセージなどが残されていたのです。現代で言えばzineのようなその冊子は、表紙には鮮やかなイラストが添えられていたり、青年部や職員さん一人一人の顔が見えてくるような文章が掲載されており、作っている楽しさが伝わってきました。
「若土」との出会いもひとつのきっかけになり、今年度は興望館の学童に通う子供達の今を伝える冊子を制作するワークショップを行うことになりました。ただし、アーティストが“先生”になってしまうようなワークショップは、同じ目線に立つというセツルメントの精神や今回のプロジェクトのキーワードではなくなってしまうということから、子供達が出入り自由なアトリエのような空間を開くことになりました。
碓井さんが名付けたその場所は「トナリのアトリエ」です。隣に寄り添うということと、子供達が遊ぶ体育館の隣にある部屋で行うことから、この名前が付けられました。本づくりワークショップは11月中旬より開催しており、連日たくさんの子供達が遊びに来てくれました。子供達が作っている本や、ワークショップの様子については引き続きレポートで発信していきます。

本プラクティスプログラムでは、今回のワークショップや継続的なリサーチを行いながら、来年にはプロジェクトの成果発表を予定しておりますのでお楽しみに!